出土状態の秘密

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弥生時代 水田

弥生時代は水稲農耕が始まった。

と、教えてくれる人はいるけれど、どんな状態で確認されるのか?

視たことのある人は少ないと思う。

弥生時代の水田跡は九州はもちろんのこと、青森でも見つかっている。

青森県垂柳遺跡


水田を区画しているのは今でいうあぜ道みたいなものだろう。

水田は水に浸かっているため、地表にある土とは色が異なる。

だから水田とあぜ道は色の違いで何となくわかる。


仙台市富沢遺跡



水田はひとつひとつ無造作に作られたわけではなさそうだ。

あぜ道の位置を見ると、格子状に水田を区画しているように見える。

きわめて計画的な配置である。

四国田村遺跡



遺跡を残した人たちの水田のルールだったのだろうか。

はたまたそれを指揮するのは村の首長だったか?



岡山県百間川遺跡



ちなみにこれ↓が最古の水田遺跡の一つというのだが…

福岡県野多目遺跡


水路らしいものが遺跡を縦断しているのはわかる。

しかし水田はどの位置にあるのかさっぱりわからない。

黒い部分があぜ道にあたるのか?

詳細を知る方ぜひご一報願いたい。

日本謎事典A 弥生 高倉洋彰 光文社文庫 1991


弥生時代

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縄文時代 岩手県相ノ沢遺跡

学校の授業で縄文時代に触れたとき、土偶の存在を紹介されることがあるかと思う。

何に使われたか?

古くから発見されているものの、結局わからずじまいのままのようだ。

この遺跡では↓このような形で見つかった。


斜面に置かれたように出土した。


土偶のアップ。本当は右腕もあるのだが、画像処理の関係で消えてしまった。


操作がわからずスミマセン。


つまりこの土偶は完全な形で出土したことになる。


この遺跡からは石斧も斜面に置かれたように出土した。


これを旧石器時代にも見られた石斧を埋めた行為によるものかどうか。


ちょっと判断が難しい。


ちなみに土偶は、他の地点からも見つかっている。


そもそも遺跡の特徴は、縄文人の使用した道具や住居を掘るときに出た廃土を廃棄した「捨て場」が見つかっている点である。


大量の土器と石器とともに土偶も見つかった。

   

脚もしくは手が欠損しており、先に紹介したの土偶とは明らかに扱いが異なっている。


捨て場からはこうした土偶は250点も見つかっているそうだ。


この違いはいったい何なのか?


先に紹介した土偶は、業界では中空土偶と呼ばれ、中身が空洞になっている。


破損している土偶は中身は空洞になるように作られていない。


作られた時期の違いとも考えたくなるが、両方とも北海道や東北地方で後期末から晩期の遺跡で出土するタイプだし…。


土偶とはいっても、その使い方もしくは捨て方も多様だったのだろうか?


中空土偶は五体満足で使用し、放置しなければならない理由があり、他の道具は土器・石器などと同様に捨て場で処理されたということか?


捨て場からは次のようなものも見つかっている。


動物?を模したような土製品(地元ではイノシシ🐗というんですが…)


不思議な形の石製品 すり石?

耳飾り


土面

 


石棒


ヒスイなどの飾り物


銅鐸のような形をしている土製品


玦状耳飾り? この時代にあったかなあ?自信がない…


大量の石鏃


捨て場には、土器(約2.6トン)や石器(約1万点)だけでなく、土製品、飾り物、土面など、生活必需品以外のものも積極的に廃棄していることがわかる。


画像はないが焼けた骨やアスファルトの入った土器なども見つかっているらしい。


捨て場は、当時の人が不要と考えたものを廃棄した場所という性格が強くでている。


だから、捨て場から見つかった土偶は、石器や土器と同様、役割を終えたため捨て場で廃棄されたと単純に考えてよいのではないか?


でも出土状態だけでは、当然廃棄される前の使い方はわからない。


いわて 未来への遺産 遺跡は語る  2000



縄文時代
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旧石器時代 長野県日向林B遺跡

旧石器時代の遺跡では、同じ形態の石器が集中する地点があります。


日向林では石斧が集中して出土した。


2点とも、まるでたてられたような状態で見つかっている。


地表でこのように配置し、年を追うごとに埋没していったとは考えにくい。


人為的に穴を掘って埋めたためこうなったと考えるのが自然だろう。


なぜ埋める必要があったか。


墓があったからだろうか、食べ物の貯蔵みたいなものだったのか?


今となっては知るすべはないけれども、旧石器時代の人の行動パターンの一つとしてみていいだろう。


ちなみにこの遺跡から、他にも次の石器が出土している。


チャート製の剥片


敲石



↓これは石器の出土地点を示したもの


中央に多く出土し、その周囲を巡るように石器集中出土地点が分布しているのを提示したかったようだ。


でもこの囲み方については、調査をする人によって違いが出そう。



ちなみに遺跡は↓こんな地形でみつかった。


緩斜面というべきか、少々勾配の大きい斜面に見える。


以前、近所の道路の端にたまった土砂の中から、黒曜石の剥片を見つけたことがある。


そのすぐ近くの台地に縄文時代の遺跡があり、どうもそこから雨水、風のはたらきで、下へと移動した可能性があると、ベテランの先生から教わった。


この遺跡から出土した石器も、他の遺跡と同じく初めは地表にあったものが、時間の経過と共に埋没したと思う。


でも、埋没する過程で、雨や風により、元々の場所から移動していないと自信を持って言えるだろうか?


昨今発生している急に発生する豪雨は、小さい石器を大きく移動させる威力はありそうだが…


細かいことが気になってすみません。


歴史発掘@ 石器の盛衰 講談社 1998



旧石器時代
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古墳時代 岩手県藤沢狄森古墳群

古墳時代の終わりには円墳と呼ばれる古墳が数多くつくられる。


遺体を葬る主体部というものをつくった後、墳丘を盛るという順番で構築されたらしい。


円墳をすべて見たわけではないが、その周囲に堀をめぐらすものが見られます。


↓これは房の沢古墳群の1基


藤沢狄森古墳群の濠からも↓のように土器が出土している。


なぜこのように出土するか?


もともと、古墳の墳丘にならべてあったものが濠へ転がったと考えたこともあったが…


でも右の土器は上向きで出土していること、二つの壺が向かい合って出土していることから、人為的な配置であるととらえてもよさそう。


想像をたくましくすれば、葬られた人に対する祭祀的行為一部ととらえてもよさそうである。


壺を向かい合わせに配置し、その横に径の広い土器を上向きで配置して、何を祈ったか?


知る術はないけれど、壺の中に詰まっていた黒土からなにか検出されなかっただろうか?


気になる。



古墳時代
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弥生時代 福岡県雀居遺跡

埋まっていた条件が良かったからか、木製品が大量に出土した。


木の柄が残った状態で石斧も出土している。



ここから得られる情報は多い。


石斧が単体ではなく、木の柄をつけていたことがわかる。


どのような形態の石斧に柄をつけていたかもわかる。


みたかんじ全面を磨いた磨製石器のようだ。


ほとんど原型に近い状態で出土している。


柄に使った木の枝は、太さを考えて選んだ様子がうかがえる。


石斧以外にも、木製の鍬も見つかっており農耕をしていた人たちの遺跡だということがわかる。


農業を行うには農耕具は必需品のはずだが…


なぜ、それらを廃棄したのか?


現代人に近所の川に物を捨てる者はいるけれど、それとは違う事情が起きたのだろうか?


引用 石器の盛衰 歴史発掘1 1998



弥生時代
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縄文時代 三内丸山遺跡

縄文時代をすこしでも勉強した人ならだれでも知っているだろう三内丸山遺跡。

大きい・長い・多いというキャッチフレーズで、多くの見学客を集めた、と思う。


自分も小学生の時修学旅行で寄ったが、当然のことながら知識は無いし、なにをみたか全然覚えていない。


千葉県の歴史民俗博物館には、三内丸山から出土した土器・石器が多く収蔵されている。


収蔵されている土器をみると破片をつなぎあわせて、復元している様子がうかがえる。


土器の破片は遺跡の北側盛り土とよばれる地点から大量に出土したという。


これが盛り土の断面。
土器の破片や石器が飛び出ている。


この盛り土のとある地点から、大量の土器片が密集して出土した。


たしか段ボール数箱分の土器片が出たというのも話題になった。
といっても、考古学という限られた世界での話だが。

博物館では完全な形の縄文土器が展示されているのをよく目にする。

でも実際はこうした破片の状態でみつかる場合が多い。

そしてその出土状態も多様だ。

三内丸山遺跡の場合は、考古学者が盛り土と呼ぶところから大量に出てきた。

以前紹介した遺跡と違ってほぼ原形をとどめていない。

一つ一つの土器片は、その密集具合から、極めて近い時間、極端なことを言うと同時に廃棄されたように見える。

縄文時代の土器は、大きく2種類の出土状態がある。

@原型をとどめた状態。

A三内丸山のように小さな破片になった状態。

なぜそのように出土するか。

それは遺跡を残した人の習慣によるものだろう。


引用 縄文文化の扉を開く 三内丸山遺跡から縄文列島へ 歴史民俗博物館 2001


縄文時代
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旧石器時代 神奈川県権田原遺跡

旧石器時代の遺跡からは、礫群とよばれる石の集まりがみつかることがある。



火を受けた石が見られるため、焼いてその熱を利用し調理した跡であるということで決着がついているらしい。


まわりからは建物の跡がみつからないので、獣の革を利用したテントのような住居で寝泊まりしていたと考えられるとか。


ここから得られる情報としては、この礫群の見つかる高さが当時の地表であり、母ちゃんがここでちょうりしたとか、あるいはこの礫群をかこんで食事をしていたとかだろうか。


石が丸かったら河原の石を集めた可能性も考えられるけど、目が悪いのでわからず。


考古学者の想定するテントはどこにたてたのだろうか。


礫群の外か。


それともテントの中に礫群をつくったのか。


遺跡は何も語ってくれない。


引用 横浜市歴史博物館常設展示案内 1995



旧石器時代
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古墳時代 建物跡

おそらく1970年代の写真と思います

千葉県西国吉遺跡から検出された古墳時代の集落の一部である竪穴式建物跡。


續いて、上の住居を含む、附近を撮影したもの。


左奥に最初の住居があります。


これをみてお分かりいただけると思うが、弥生時代の集落遺跡と同じように建物跡が重なっている。


おそらく、各々の構築時期の違いからこうした状況が生まれたのだろう。


関東地方に於けるこの時期の建物跡を初めて見たが、弥生時代とは形が全然違う。


すみ丸方形の縦穴を掘り、■の配置で柱を立てている。


床に段差もあり、何かを意図して掘ったらしい形跡がうかがえる。


建物中央の壁際に掘り込みが見て取れる。


炉の一種だろうか?


石器や土器からは伝わってこない、彼らの営みが部分的ではあるけれども感じられる。


引用 國學院大學考古学資料館要覧 1976 関東の古墳時代文化



古墳時代
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弥生時代 建物跡

まずは福岡県曲り田遺跡の集落跡から。


竪穴式の建物跡が密集しているというより、重なり合ってたくさん見つかった。


次に韓国 検丹里遺跡


同じく竪穴式の建物跡が重なった状態で見つかった。


弥生時代にかかわらず、縄文時代や古墳時代の遺跡にもこうした現場が見られる。


曲がり田の場合は10軒近く重なり合っており、輪郭の復元は難しい。


同じく弥生時代の集落跡の大塚遺跡。


重なる事例はあるものの、多くは独立している。


弥生時代の集落跡にもいろいろな顔があるもんだ。


さて重なる理由の多くは、何度もその付近で竪穴を掘って建物を作ったから、その累積の結果と思っていたが、


…最近は単純にそう考えられない。


曲り田の場合、竪穴が完全に埋まった状態から次の竪穴を掘ったのだろうか?


それとも、埋め戻してから、新たに竪穴を掘ったか?


元住人の住居の覆土の色を気にしなかったのか?


完全に埋まるまでどのくらいの年月が必要か?


調べる研究者はいないのか?


不完全な面は否めないとはいえ、それがあると一つの目安としていろいろな遺跡であてはめて計算できる。


まあ、だれもやらんわね。


そんな暇ないし。


引用 高倉洋彰 グラフィティ日本謎事典A弥生 光文社文庫



弥生時代
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岩手県 根井貝塚 住居床面から出土した土器

住居の床面から出土した石製のペンダント(?)と土器↓


土器は、ほぼ完全な形で出土しているようです。


博物館で陳列される土器のように、きれいな模様が施文されています。


でも縄文時代の遺跡から出土する土器は、破片である場合が多く、こんな状態で見つかるのは珍しい。


報告者によるとこの土器群から、赤い粘土と蛇の骨が出てきたとか。


赤は人間の血と同じ色、蛇は神様として祭られる対象…


人によってはそこに魅力を感じる人もいると思います。


土器の形や模様に注目すると、時間をかけて丁寧に大事に製作したことが伝わってくる。


丁寧に製作した土器に、赤い粘土と蛇の骨を入れた理由は何だったのか?


あの石のペンダントもなぜ伴っているのか?


そもそもこの住居の床に置いては遺棄した理由は?


模様のみではわからない、彼らの知られざる一面を出土状態は伝えている。


引用 いわて 未来への遺産 遺跡は語る 2000



縄文土器
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博物館には昔の人が使ったものが陳列されてたりするけど、どんな状態で出てきたのか?知らん人も多いはず。それは現場にいた人にしかわからん世界。その画像を貼っていきます。
ちなみに当方専門家ではないのでご寛容を。
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