古民家 米ぬか酵素風呂徒然日記

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チャネリングレポート 神 2011年3月12日

CDチャネリングレポート30-3・4 2011年3月12日
神「そなたの想念は、昨日起こった地震への想いで大きく揺れておるのう・・・ のう、そして、その動きまくった想念の向こうに
そなたのなかにある、死への恐怖が見え隠れしておったのを気が付いたかのう。」
Kさん「はい、やっぱり怖いです。凄く怖いです。誤魔化さないようにしたいと思います。怖いです。
あの、第一地鳴りを聞いただけで、慌てました。」
神「そうじゃのう。あの時そなた慌てて、なんじゃ、何か廊下でひっくり返っておったのう。わし達の方がびっくりしたぞ。」
Kさん「いえ、本当に慌てました。地鳴りだけだったんです。でもその地鳴りは悲しい音だったのです。」
神「そうか〜それが地球の叫び声じゃ。その地鳴りがあったにもかかわらず、そなたの所はそれほどは揺れなんだ。街では、皆揺れたと言っておったのう。
その者がおる場所で揺れた度合が違うとはどういう事かの。もちろん、色んな大地の状態もある。
じゃが揺れる所に居る者と揺れない所に居る者との違いは何じゃろう。判るかのう。」
Kさん「全然判りません。判りませんけど、多分偶然ではないんだと思います。」
神「そうじゃ、ただ揺れる所におっても、おったとしてもその揺れを受け止められる者は受け止められるし、まあ色々あるのう。
これが、幕開けじゃ。この敷島の国全土が揺れる。そうわし達は言うたであろう。
ある意味、そなたたちは、わし達の声を聞いてくれて、北へ向かって、飛んでくれたのう。」
Kさん「はい、半年前から北の方心配して、お参りをお願いしたりとか、色々しました。北が危ない。海が危ないと私は思いました。」
神「ほれみい、気が付く者は気が付くんじゃ。そうして、そなたたちは動けるものが、やれる者が北は青森まで行きそして
この地震が起こった宮城もあちらこちら、北へ行ってくれて、そして又行けぬ所へは、動ける者に連絡を取ってくれて
僅かでもそうやって動いたではないか・・・」
Kさん「はい、でも本当に人の力はそれだけだったんです。」
神「ところがじゃ、もしもその祈りがなかったら、このたびのこの大きな大地の揺れは、どうなりたであろうなあ?」
Kさん「皆目見当もつきません。」
神「そうか、実を申すとな、沈めるつもりでおったのよ。危ない物を海の側に一杯作っておるのう。海の底に全て沈めて
蓋をしてしまいたかったのよ。」
Kさん「そうですか?」
神「じゃが、そなた達は、そういったものを断ち切った。その一番最悪の事を断ち切ったんじゃ。体だから命離れる者がこれだけの人数で
終わったんじゃ。いやいや、他の所はこれから行くがな、そなた達の行動がなければ、このたびの災害はその更に何十倍であったであろうのう。
大地そのものが沈んでいく運命にあった場所なんじゃ。それを考えてみなされ。これだけの被害で済んだんじゃよ。」
Kさん「そうですか?でも試練を乗り切るってこんなにもこんなにも重たいものなんですね。」
神「そうじゃのう。悪い方に思えば、悪くなる。これだけで済んだと思えば、又変わる。どっちを選ぶかとしたら
軽い方を選んだ方が良いようにわしは思うがのう。」
Kさん「はい、そうですね。悪く思うんじゃなくて、逆にこれだけで済んだと。あの、原子力発電所の事を
神様は言ってますけれど、それは色んな重工業のコンビナートとか色んななものが海岸線に一杯あります。それを全部沈めるとなると
相当な事になるはずだったかも知れません。その放射能と言うものが、漏れる恐れ、漏れているけれども
何とかなるかも知れない。」
神「そんなに重く固っ苦しく思うな。来るものは来るんじゃ。その選択を全てが選んだんじゃ。良いか?畳み込むようにして、様々な災害が起こっていくから
心してかかっておれ。持ち物は全て無くなる。そう思いなされ。その身があれば充分じゃ。今着ているものがあれば
充分じゃ。寒さは皆で、暑さも皆で、考えて乗り切りなされ。
その内富士の麓の仲間とも連絡が取りづらくなっていく事態が起こっていくであろう。良いか、この言葉を聞いておる者達は
又は読んで居る者達はその地域の班長だと思うて光りを忘れるでないぞ。どんな大災害もそれだけでとどまったんじゃと。
良い方に考えていくように。この試練続くぞ。さあ、肩の力を抜いて頑張りなされよ。」
Kさん「ありがとうございます。3月の12日、地震が起こった翌日です。以上です。」

2011年初め 「北が危ない」と伝え聞き、富士のセンターの亡くなったSさんと2011年2月初旬、宮城県の式内社50か所ぐらいに
光の柱を立てに行きました。東北自動車道一関ICから太平洋側 気仙沼方面に走らせて感じたのが、
私が住む地域より村社など神社の数が極端に少ないと言う事とでした。
合計2人で4日間、2000キロ走行でした。石巻市の日和山 鹿島御児神社 (かしまみこじんじゃ)近くの宿泊所で朝
神より「我等も動き出すぞ」と伝えて頂きました。
日和山は海と川から近くで小高い山で神社がありました。震災時の避難先であり、震災で損害を受けたが復旧したようです。
他にも海・川に近い神社もあったが、被害を受けた神社もあったようです。
戻ってからその後、福島県の事が何故だかとにかく気になりだして、再度2月下旬に、光の柱を立てに行こうと地図を見たりして予定を立てだしたが、結局行けずじまいで3月震災となりました。




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片麻痺後遺症の為
酵素風呂2017年5月閉店。
障害年金生活。
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