出土状態の秘密

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擦文文化 北海道K499遺跡

内地が奈良時代・平安時代だったころ、北海道は擦文文化とよばれる時期に設定されている。
以前にも紹介したが、北海道でも古墳の築造が見られる時期であり、本州とは没交渉ではなかったことがわかる。
古墳以外にも、住居も内地の影響を受けている。
全景の写真をよく見たら、形態は方形で、四つの柱穴が方形に並んでいる。
そしてかまどもみられる。
これらの特徴は内地の住居と合致する。
擦文文化前の続縄文文化の住居は円形もしくは楕円形。
この変化の背景には何があるのか。
擦文文化は、中央政府により蝦夷討伐と重なる時期だ。
でもそれが影響し、住居も方形になったという変な解釈は誰も受け入れないだろう。





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古墳時代 岩手県上田蝦夷森古墳群

古墳からはカブトが見つかっている。

カブトを出土した古墳としては日本最北だという。

下の写真が出土状態。

右からカブト、銅製耳飾り、刀子、コハク原石、土師器甕

これらの副葬品は棺の南側に並んで見つかったそうで、被葬者は頭部を南側に向けられて埋葬されたと考えられている。







副葬品の配置は、当時の人の祭祀形態を示す貴重な情報源と聞いたことがある。

たしか石野博信さんだっただろうか?

特に、頭部に甕を置いているのは興味深い。

甕は7世紀のものらしいから、この古墳もその頃に築造されたものだろう。

被葬者の正体は永遠にわからないけれども、カブトを埋葬されている点から、すぐれた人脈をもった人物だったのだろう。

ちなみにこのカブト、「横矧板鋲留衝角付冑」というのが正式名称らしい。

やっぱり考古学の用語は難しい。



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弥生時代 島根県荒神谷遺跡

1984年谷あいの斜面を発掘したところ、銅剣358本も出土した。




そしてそのすぐ近くでは、銅鐸6個、銅矛16本も見つかった。


前代未聞、世紀の大発見として当時はマスコミをにぎわせたという。

ちなみに、うちの母にこれ知ってる?と聞いたら、「知らないよそんなの」と答えが返ってきた。

まあそんなもんか、世間は。

さて、弥生時代の銅剣や銅矛について、以前墓の副葬品として紹介したことがある。

でもここでは、惜しげもなく大量に埋納している。

当時としては貴重品の銅製品をなぜここに埋納したか?

これを弥生時代の祭祀の一種との見方がある。

確かに特殊中の特殊な出土事例であり、祭器をここにささげ、天に願ったという解釈しても納得するだけのインパクトはある。

後に加茂岩倉遺跡なる遺跡も近くから発見されて、出雲地方に有力な勢力の存在を示す重要な資料として、この遺跡は今も変わらず輝いている。

さて、発見から30数年たった。

その間、なぜこの地に埋納されたか、祭祀形態とは?など、興味深い問題はいくつも提起されたが決着はついていない。



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縄文時代 重複を続けた住居

いままでも重複する住居群をいくつも紹介してきた。

ここでとりあげるのは、住居が同じ場所で幾度も建て替えを繰り返した事例である。

中野谷松原遺跡では、合計15回以上も建て替えを行った事例が見つかっている。


四角形から円形へと、住居の形態が変化していく様子を観察することができる。

こうした事例はなんと戦前、縄文時代に全く理解無き時代に確認されていた。

関野克さんという人は、埼玉県で7回建て替えを行った住居を発掘し、重複住居の意義を日本で初めて論じた。




こうした住居の存在は、この地に長く住み続けた人たちがいたことを示しているのか、ここに住んだ家族が飽き性だからなのか?



中野谷松原遺跡は縄文時代前期の遺跡である。

関東地方では、前期の初めから終わりにかけて、住居は方形→円形へと変化する。

だから、ここに住んだ家族が、趣味で形態を変えたというわけではなく、この地域全体で見られる変化としてみたほうがよさそうだ。

でも、なぜ方形から円形に変化しなければならなかったのか?

縄文時代前期は大まかにいうと、今から6000年前から5000年前の約千年間。

この千年でおきたことといえば、南関東でいうと、海岸線が現在よりも内陸部にまで入り込み、遺跡の数が急激に増えた。

しかし、その後徐々に海岸線は沖へと引いていき、遺跡の数は減っていった。

つまり地球規模で温度の上昇と下降が、この前期に存在したことを示している。

それを縄文海進と呼んでいる人もいる。

しかし、温度が低下するに従い、住居の形態も円形になりましたといっても、納得する人はいないだろう。

円形と方形の、メリット・デメリットを探る必要があるような気がする。


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旧石器?それとも縄文? 岩手県碁石遺跡

三陸海岸有数の観光地である碁石海岸。

この地名の由来は波に洗われて丸くなった黒石が、付近の海岸で取れることにあるという。

この石は頁岩で、組織は緻密で硬いため、石器の石材として長い間用いられた。

碁石遺跡は、その頁岩を使って石器製作を行った場と考えられている。

石をたたき割るのに使用されたと思われる叩き石が多く出土している。


また、他の遺跡からはあまり見ることのない楔型石器も多数出土している。


今のところ、縄文時代の土器や石器は検出されていないため、旧石器時代の石器製作遺跡と考えられてきた。

しかし、北海道白滝、大阪二上山などの石器製作遺跡と比べて、完形の石器、製作途中の石器が見つかっていないため、旧石器時代と決めつけるには不安との考えもある。

出土している叩き石を縄文時代の叩き石と比較したらどうだろうか?



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戦国時代 兵庫県勝雄経塚

神戸の勝雄経塚から六十六部回国納経の経筒が完存した状態で発見された。


…こんな文章を書いて、どのくらいの人が理解できただろうか?

たぶん本職の人も???だと思う。

まず経塚とは経典を土中に埋納した塚のこと。

10世紀の終わりころ日本に発生し、見たことはないけれど現在も行われている習慣らしい。

だから六十六部回国納経は仏教経典の一つであり、経筒とは経典を入れた筒のことを言うようだ。

経筒の発見は、附近にあったとされる勝雄城跡の確認調査をしていたときだった。

そしたら、予想外の経塚を発見した。

あたりは小高く盛り上がる地形ではあったが、一般的な経塚にみられる石は配置されていなかった。

出土状況から20p×20pの小さい穴に埋納されており、外観は木蓋をした備前焼のツボであり、中に金銅製の経筒を入れていた。



経筒内からは経巻8巻見つかった。





ほぼ完全な形で見つかっており関係者を喜ばせたらしい。

というのも、全国的に見て六十六部回国納経の経筒は300例ほど出土例はあるけれど、紙のため腐食が激しく、残存しているものは紙片を含めてもたったの30例らしい。

つまり、この遺跡は完全な形で出土した全国唯一の事例ということになる。

経筒をいれた備前焼には享禄3年と刻まれており、1530年に埋められたと推定されている。

すごい発見のはずだが、発見を伝える記事を見た記憶が全くない。



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古墳時代 岩手県角塚古墳

最北に位置する前方後円墳で、国指定史跡にもなった。


端からみたら変形の小山にしかみえないけれど、いざ形態確認のための塹壕をほってみたら、丸い川原石が葺かれていた。


これは葺石とか呼ばれているもので、前方後円墳の表面をびっしり敷き詰めるものある。

他にも、埴輪が数点検出されたようだ。






ところで、東北地方では福島・宮城・山形では4世紀以降も古墳は造営されている。

でも、岩手・秋田・岩手は、7世紀になるまで古墳は造営されないという現象が確認されている。

古墳不毛の地であった岩手県になぜ、盟主墳ともいわれる前方後円墳が築かれたのか?

これも、国指定となったポイントだが、築造された場所が岩手県であり、朝廷と蝦夷との関係はどうだったのか?

両方の勢力範囲を考える上で、重要な古墳である。

また、以前紹介した岩手県の古墳の内部構造は北部と南部で異なる事例も気になるところ。

先祖が蝦夷にかかわる自分にとって、気になる問題…。



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弥生時代 大阪府久宝寺南遺跡

遺跡からは準構造船がみつかったという。

準構造船とはなんだろうか調べたら、丸太をくりぬいて作った丸木舟に、立板、舷側板などの部材を組み合わせたものをさすらしい。

縄文時代の遺跡から見つかる船は、だいたい丸木舟だから、製作技術・機能向上の技術は向上していることを示している。

この船の遺構は復元されている。

↓がこちら

 
この形に違和感を覚える人は少なくないだろう。

漁に使われたのか?

それともマツリか?

でもまつりだったら、こんなところに廃棄するのだろうか?

いろいろと訴えてくる船である。



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縄文時代 滋賀県粟津湖底遺跡

琵琶湖の湖底から水没した貝塚が見つかった。


貝塚をどうやってみつけたのか? その経緯はわからない。

写真を見て、発掘調査はここまでやるんだと驚いた。

貝塚は、だいたい海沿いから発見される。

湖附近で見つかっている例は数えたことはないけれど少ないだろう。

貝塚からは、貝類・イノシシ、トチ・クルミなど、縄文時代の遺跡からよく見つかるものとそう変わりはない。

遺跡は現在水没しているが、当時の琵琶湖は今よりも小さかったこともこれでわかる。

貝の層の間にある黒い層は植物層だという。

貝塚の形成中にながい間断期でもあったのだろうか?
 
スッポン
 
イノシシの頭骨


スッポン・イノシシとも、頭骨が大きく破壊されている様子は見られない。


縄文時代の貝塚からは、動物骨を加工して造られた骨製品が出土する


頭骨は骨製品をつくるための部分ではなかったらしい。





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獣骨 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
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旧石器時代 北海道美利河T遺跡

この遺跡でも接合資料は確認されている。


石器を作る前の原石に近い状態まで復元できているものもあり、遺跡を残した人がどの程度の大きさの石を選別していたかを理解できる貴重なものだ。

 
遺跡は北海道としてはめずらしく、層位的に石器が出土した稀有な例だという。

以前紹介した白滝遺跡の場合も、層位を意識して発掘はされていた。

しかし、接合作業に携わった人から聞いた話では、出土位置の深さが1Ⅿ以上も違う石器がつながることがあったという。

地質学などの先生によると、周氷河現象というやつのせいで、長い時間をかけて石器の位置が上下左右に動いてしまったためだという。

じゃあ、ピリカは大丈夫?

不安は残るものの、門外漢過ぎてわからず。

とりあえず層位ごとになにが出土したか確認してみよう。

最も下の層からは峠下型細石刃核と荒谷型彫器
 


 

その上の層から出土した札滑型と峠下型の特徴を持った細石刃核と玉
 

 

さらにその上の層から出土した有舌尖頭器・大型石刃
 
※他に広郷型細石刃核も出土

細石刃とか、細石刃核とか…

難しい言葉だが、細石刃とは旧石器時代の終わり、日本列島に登場する石器である。

幅が5o、長さが4pとか、非常に小さい石器。

細石刃核とは、その細石刃をはぎ取るためにつくられた石器である。
 
細石刃ができるまで
 
細石刃核をつくるための石を採取する。

石の断面が楔にように、とがる形状になるまで石をはぎ取り(T)、縁辺に平坦面をつくるため一撃を加え(U)、さらに縦に細石刃をつくるための一撃を加える(V)。
細石刃のはぎ取り準備は終わる。はぎ取られる石器を細石刃核と呼んでいる、っぽい。

旧石器時代の石器は無造作に作られたわけでなく、かなりシステマティックな技術に基づいて行われていたことがわかる。

これも接合資料によって判明した。

その細石刃核のタイプが、峠下型・札滑型・広郷型である。

北海道は、細石刃核のタイプが多く確認されている。

細石刃の文化はシベリアから北海道を玄関口に広まったルートと、中国から九州を玄関口に広まったルートの二つがあると考えられていると習ったことがある。

大陸に近いから北海道ではさまざまなバリエーションが発生する要因になったか?

それとも時間と共に変化したものか?



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soraイメージ
注意!
非常にマニアックなブログです。
タモリ倶楽部でもやりません。
旧石器とか縄文など、教科書で習うけど、ほとんどの人は興味なく、聞き流すだけで終わると思います。遺跡に行っても、だいたいは看板があるだけ。古墳は草木が生い茂っている山にしか見えない。面白いのは、ものが出てきたほんの一瞬だけ。全国には何万と遺跡はあります。その中から独断と偏見で、「出土状態」を紹介していきます。なお専門家ではないので悪しからず。
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