出土状態の秘密

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擦文文化 北海道K499遺跡

内地が奈良時代・平安時代だったころ、北海道は擦文文化とよばれる時期に設定されている。
以前にも紹介したが、北海道でも古墳の築造が見られる時期であり、本州とは没交渉ではなかったことがわかる。
古墳以外にも、住居も内地の影響を受けている。
全景の写真をよく見たら、形態は方形で、四つの柱穴が方形に並んでいる。
そしてかまどもみられる。
これらの特徴は内地の住居と合致する。
擦文文化前の続縄文文化の住居は円形もしくは楕円形。
この変化の背景には何があるのか。
擦文文化は、中央政府により蝦夷討伐と重なる時期だ。
でもそれが影響し、住居も方形になったという変な解釈は誰も受け入れないだろう。





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縄文時代 重複を続けた住居

いままでも重複する住居群をいくつも紹介してきた。

ここでとりあげるのは、住居が同じ場所で幾度も建て替えを繰り返した事例である。

中野谷松原遺跡では、合計15回以上も建て替えを行った事例が見つかっている。


四角形から円形へと、住居の形態が変化していく様子を観察することができる。

こうした事例はなんと戦前、縄文時代に全く理解無き時代に確認されていた。

関野克さんという人は、埼玉県で7回建て替えを行った住居を発掘し、重複住居の意義を日本で初めて論じた。




こうした住居の存在は、この地に長く住み続けた人たちがいたことを示しているのか、ここに住んだ家族が飽き性だからなのか?



中野谷松原遺跡は縄文時代前期の遺跡である。

関東地方では、前期の初めから終わりにかけて、住居は方形→円形へと変化する。

だから、ここに住んだ家族が、趣味で形態を変えたというわけではなく、この地域全体で見られる変化としてみたほうがよさそうだ。

でも、なぜ方形から円形に変化しなければならなかったのか?

縄文時代前期は大まかにいうと、今から6000年前から5000年前の約千年間。

この千年でおきたことといえば、南関東でいうと、海岸線が現在よりも内陸部にまで入り込み、遺跡の数が急激に増えた。

しかし、その後徐々に海岸線は沖へと引いていき、遺跡の数は減っていった。

つまり地球規模で温度の上昇と下降が、この前期に存在したことを示している。

それを縄文海進と呼んでいる人もいる。

しかし、温度が低下するに従い、住居の形態も円形になりましたといっても、納得する人はいないだろう。

円形と方形の、メリット・デメリットを探る必要があるような気がする。


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弥生遺跡 静岡県登呂遺跡

今から70年近く前の写真。


方形に掘りこまれているので、四本柱穴の竪穴かと思った。

よくみると、右は柱穴が残っている状態で見つかったようだ。

掘り込みを確認できなかったため、高床式の建物と考えられている。

柱穴は方形に配置されており、一辺の長さが統一されているように整然と並んでいる。

遺跡からは、八本柱の高床式建物もみつかっている。


食糧の貯蔵施設と推定されている。

4本と8本とでは、貯蔵するものに違いがあったのかどうか?

その疑問に答える資料はほとんど見つかっていない。

さらに、弥生時代には縄文時代と同じく貯蔵穴もみつかっている。

貯蔵穴からは、発掘時食糧の遺されている例が見られるので、何を保存したかわかるけど、高床式は、上部の情報が飛んでいるため、把握は難しい。

ともあれ、弥生時代の食糧保存方法はいろいろあったんだなということがわかる。



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縄文時代 住居の形態

縄文時代は竪穴を掘ってそれを住み家としたと習った。

でも、縄文時代は1万年以上「続いた」とされる文化。

しかし、実態は様々な変化を遂げた文化であった。

早期 約10000〜6000年前
方形に掘りこまれ、壁に多くの柱穴、中央付近にも柱穴がある
 


前期 約6000年から5000年前
方形。壁に沿って溝が掘られている。柱穴の配置から規則性を見出すのは難しい。
 

おなじく前期。形態は台形型。柱穴は壁際から並んで見つかっている。
 

中期 約5000年前から4000年前
円形。柱穴4本。
 

円形。壁際に溝が掘られており、その内部に柱穴が並ぶ。
 

六角形。内部の構造は先に紹介したのと同じ
 

円形。壁際はベンチ状になっており、柱穴はその内側の端から多数見つかっている。
 

楕円形。竪穴の深さが2Ⅿ近くある。柱穴は壁際に並んで見つかっている。
 

後期 約4000年前から3000年前


掘り込みが浅く、壁際に柱穴を狭い間隔で立てている。



方形→方形・台形→円形→円形・楕円形・六角形という変化がたどれるようにみえる。

なお縄文時代の時期区分には前記以外に次の単位が設定されている。

草創期 約1万6000年から10000年前
晩期 約3000年前から2700年前 

人によって、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の年代幅に違いはある。

たとえば九州では、早くから農耕の痕跡が見られるから晩期の幅は短いとか、旧石器時代から縄文時代への変遷は地域によって異なるため、きれいに千年でわけられないとか…

まあ、そんなことは善良な一般市民にとってどうでもいいけれど、ここで紹介しなかった草創期・晩期の遺跡からみつかる住居跡も、竪穴である場合が多い。
 
特徴として、後期の終わりから晩期にかけての住居は、掘り込みが浅いのがみられる。

床面は火山灰層ではなく、遺物を多く包含している黒土の層だった家も見たことがある。

旧石器時代の遺跡で火山灰の層から穴を確認するのは難しい。

縄文時代の遺跡で、黒土のなかから、掘りこみを見つけるのも難しい。

柱穴しか見つからない遺跡もあるが、実は掘りすぎて竪穴を確認できなかった可能性だってある。

これは経験とか知識とか、運も関係する。

黒土の層を掘り進めていたが、めちゃくちゃ硬い地点があり、おかしいなあと現場主任を呼んで確認してもらったが、原因わからず。

でも、空に雲が少し増えて薄暗くなったとき、周囲とはことなる色の広がりがぼんやり見えてきた。

それをつなげると、円形になった。

土層の変化に注意すると壁に沿って柱穴らしいものも確認できた。

竪穴は最も深いところで3pほど、いままで見てきた例で最も浅かった。

おそらく、雲一つない青空だったら、掘っていた人がいつもと違う違和感を感じていなかったら、などの要因が一つでも欠けたら発見できていないだろう。

自分だったら、間違いなく見落とす自信はある。



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古墳時代 千葉県西国吉遺跡

古墳時代の住居から、土器はどのようにみつかるだろうか?

どうも、縄文時代や弥生時代と同じく床面や住居を埋めた土から見つかっている場合が多いようだ。


壺の出土状態は、横に倒れているもの、倒立しているものが見られる。

床面から見つかっている土器は、完全な形で見つかっているものが多いように見られる。



↓なかには口附近が大きく開くものもある。


↓これで口と胴附近に模様があり、穴を開けていたら古墳から見つかるハソウという焼き物になる?

報告書をみていないが、他の遺跡を参照すると壺が多く見つかっている付近はかまどか?

高坏は壺と離れた位置から見つかっている。

 

壺と配置が違うのは、用途の違いも関係しているのだろうか?

古墳時代でさえまだ使用できる状態の土器を残してこの家を去った背景が見て取れる。

引っ越しは、すなわち道具を家に遺し、他の場所で裸一貫新たな生活を始めるのが当時の価値観だったのだろうか?

縄文時代よりも新しいはずだが、古墳時代を生きた人の行為も、理解できない痕跡は多い。



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弥生時代 火災にあった住居

弥生時代の住居を埋めた土を掘り進めると、大量の炭化した木材がでる例に出くわすことがある。

大阪府鬼塚遺跡


群馬県高野原遺跡


弥生時代といったら倭国大乱、つまり戦争の時代と習った人もいるだろう。

火災の痕跡は、まさにその戦争と結び付けて説明されることもある。

昔の本などを見たら、戦争の痕跡と決めてつけて紹介しているものを見た。

でも最近一部の本には、火災住居を戦争によるものと書かなないものをみかけた。

基本的なことだが、日常生活の中で発生した火事の痕跡と、戦争による火災の痕跡は、どこで見分けることができるだろうか?

正直見た目では難しい。

ここで紹介した焼失住居跡も、出火原因を特定できているわけではない。

そもそも、それを火事の原因を探るという目的で、掘り進めているわけではないから、結果それを検討する材料は制限されてしまう。


そんな焼失住居にも研究するうえでこの上ない情報を与えてくれる。

大阪府鬼塚遺跡出土土器


群馬県高野原遺跡出土土器


屋内に土器や石器がそのまま残っている事例がけっこうある。

これにより、この住居が使用されていた時の土器や石器の形態を知ることができる。

出土した遺物は火災前のものであるから、極めて同時性の高い遺物と自信を持って言える。

土器や石器の新旧を説明するとき、非常に役立つ資料となる。


ちなみに、縄文時代からも焼失住居はたくさん見つかる。

でも、戦争のない時代であるから、家を送る儀礼として説明する人がいる。

その解釈も、日常生活で発生した火災とどう違うの?という疑問は残るけど…


果たして、弥生時代の焼失住居は、戦争・日常的な火災の二つで説明できるのだろうか?



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弥生時代 集落の立地場所

弥生時代、集落の立地場所は一律ではなかったようだ。

平地にある集落 東京都成増1丁目遺跡

 
低地にある集落 静岡県小黒遺跡

 
台地上の集落 神奈川県三殿台遺跡

弥生時代の集落も多様だったようだ。

台地上にある集落は、地形を選んで住み着いたと解釈してもいいかもしれないけれど、平地・低地に集落を形成するメリットは果たしてなんなのか?

地域差か?

住まざるを得ない複雑な事情があったか?

大地が嫌いな人が集結した結果か?

ながい弥生時代の間におきた変化か?

などなどいろいろな解釈するひとはいるけれど。

でも複雑な人間関係までは、発掘調査で証明することは難しい…

さて、台地上の集落で、興味深い事例がみつかっている。

図面で申し訳ないが、福岡県宝台遺跡では3つの集落が見つかっている(○が住居)。


等高線で立地場所を確認すると、いずれも標高30mの平坦に近い場所に住居をつくり、南北の間に標高20mの谷?が東西に広がっているようだ。

3つとも造営時期は重なるらしいので、共存していた可能性は高いという。

なぜ離れて立地しているのか?

今でも農村に行くと、同じ姓の家が近接して立地しているのを見かけるが、もとの出自は同じである場合が多いらしい。

出自の異なる人たちが、ここにいたことを示しているのだろうか?



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旧石器時代 大阪府はさみ山遺跡

今から30年ほど前、楽天梨田監督の住宅予定地から旧石器時代の遺跡が発見された。

石器だけでなく、建物跡と思われる痕跡もみつかるという幸運に恵まれた。

径6メートル、深さ20センチほどの浅い円形に掘られて、周囲に径10センチほどの穴が掘られていた。

穴は斜めに掘られており、木を差し込むと上部中央で重なるようになっていた。

穴は浅く掘られ、縄文時代のような柱を立てる感覚ではなかったようだ。

たてる状況を復原した絵も描かれた。


昔佐原真という人が、絵を描く達人であったと聞いたがこれも佐原さんだろうか?

それにしても、木を一本ずつ安定することのない浅く掘った穴に立て、最後に中央で束ねる作業を本当にしていたのかどうか?

言うのは簡単だが、実際やってみると難しい。

浅い穴に、ななめに木を立てても木は倒れてしまう。
それをどうクリアしたか?

旧石器時代の建築技術、甘く見てはいけない。

ちなみに遺跡は、梨田家の設計変更により、土中に埋まった状態で保存されているらしい。

建物跡のみつかったあたりは「はさみ山遺跡梨田地点」と名付けられている。

旧石器人もこの扱いに感謝しているのか、梨田さんは引退した後も野球界で仕事を続けている。



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オホーツク文化 骨塚

オホーツク文化の住居からは、動物の骨を集積した「骨塚」と呼ばれるものがみつかる。

トコロチャシ遺跡の骨塚

栄浦第二遺跡の骨塚


復元された骨塚


写真や図面を観察すると、頭骨を丁寧に並べているように見える。
動物はクマ、シカ、キツネなど陸上で生息する動物のほか、トドやクジラなど海獣の頭骨もあるらしい。
家畜として飼育していたと思われる、ブタ・犬の骨はあまり多くないとのこと。
頭骨を丁寧に並べているので、骨を集める趣味があったわけではなさそうだ。

丁寧に扱うという点から、食糧の対象とは違う、別の考えがあったようだが、それは何か?
縄文時代の配石遺構や石棒と同じく、世界観を読み解くのは難しい。
住居にある点から、昔の家によくあった神棚、仏壇などの感覚で存在したのだろうか。

骨は肉のついた状態で置いたのではなく、一度地中に埋め、骨だけになったら掘り返して家に搬入したと考えるのが自然だろう。
衛生的にも悪いし…。

縄文時代にも、遺体を埋めて、骨のみとなった時期に掘り返し再び埋葬した二次埋葬がある。
骨塚はそれに相当する行為である。
単なる食糧の対象と考えていたらここまではやらない。

アイヌ民族の送りのごとく、動物に対し尊崇の気持ちが表れている。

ちなみに、この骨塚は住居が使われている間につくられたのか、それとも廃絶時につくられたのか?
ちょっとわからない。

それによって、彼等の世界観の解釈もかわるだろう。



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古墳時代 岩手県上餅田遺跡

ここから検出されている住居のプランは、方形、四点の柱穴、かまど。
古墳時代にはよく見られる例なのでそう珍しくはない。




発掘調査の範囲からは、古墳時代から平安時代にいたる竪穴住居跡が見つかっている。
古墳時代 半弧状に配置。
奈良時代1 北に密集。みんな何となく同じ方向を向いている。
奈良時代2と平安時代 南へ移動。



不思議なことに全く重複しているように見えない。
他の同時代の遺跡では、重複例はいくつも見ているので、この光景は不気味に映ってしまう。
完全に埋没していなかったから、こうした奇跡がおきたのだろうか?

それとも重複は、避けなければならないタブーだったのだろうか?

三河地方のとある地域では、死人の出た家のそばに家を作らないという習慣があった、と聞いたことがある。

その習慣は古墳時代までさかのぼる、わけないか…。



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soraイメージ
注意!
非常にマニアックなブログです。
タモリ倶楽部でもやりません。
旧石器とか縄文など、教科書で習うけど、ほとんどの人は興味なく、聞き流すだけで終わると思います。遺跡に行っても、だいたいは看板があるだけ。古墳は草木が生い茂っている山にしか見えない。面白いのは、ものが出てきたほんの一瞬だけ。全国には何万と遺跡はあります。その中から独断と偏見で、「出土状態」を紹介していきます。なお専門家ではないので悪しからず。
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