出土状態の秘密

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奈良・平安時代 東京都東山道跡

古代の日本国家は、全国を畿内と東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の七道に区分していた。


七道は大きな行政区画であり、それぞれ都と地方の国をむすぶ官道が設けられた。

千年以上たった後、七道の一つ東山道の一部が発見された。


道は幅約12M、両側に溝を設けられていた。

地図を見てもわかる通り、できる限り直線になるように配備された。

8世紀の初めは、武蔵国に向かう時は、上野→国府と北から南へ向かうため、東山道の官道が主に利用されていた。

武蔵国では、防人の移動などで東海道官道の利用が頻繁となった。

771年武蔵国は、東山道から東海道へと所属が変更された。

国の所属を変えてしまうほど、官道の利用は影響力があったことを示すエピソード。

国家主導で現在にも使用される道路建設が行われたことは、今後の歴史にも影響を与える重要な出来事であった。

でも官道の発見が新聞で報じられたとき、知識がなかったから何とも思わなかったことを思い出す。




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縄文時代 神奈川県古梅谷遺跡

縄文時代は狩猟採集民であり、野山を駆け巡って動物を追う生活を送っていたと、認識している人は多いかと思う。

歩いた道はせいぜい、山にある獣のとおる獣道くらいかというとそうでもない。

この遺跡では、丸太や枝をつなげて整備した道が見つかっている。




道は北の方に向かっている。

この方向には、同じく縄文時代の遺跡である西谷貝塚がある。

この道は西谷貝塚へ向かうために整備されたらしい。



もう一方はどこに続くかはわかっていない。

人々は獣道や土地勘から移動していたわけではないようだ。

道はたまたま湿地帯という環境のため保存されていた。

湿地帯から発見されるこうした事例を、すべての地域の遺跡にまぶして解釈するのは危険かもしれないが、縄文人も移動に利便性を求める一面があったようだ。




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soraイメージ
注意!
非常にマニアックなブログです。
タモリ倶楽部でもやりません。
旧石器とか縄文など、教科書で習うけど、ほとんどの人は興味なく、聞き流すだけで終わると思います。遺跡に行っても、だいたいは看板があるだけ。古墳は草木が生い茂っている山にしか見えない。面白いのは、ものが出てきたほんの一瞬だけ。全国には何万と遺跡はあります。その中から独断と偏見で、「出土状態」を紹介していきます。なお専門家ではないので悪しからず。
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