出土状態の秘密

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江戸時代 長野県原久久戸遺跡

与野党の醜い政争の具となった八ッ場ダム。

八ッ場ダムの開発前に実施された発掘調査は、浅間山噴火で被害を被った人々がどのような生活を送っていたかを知る良い機会となった。
 
段丘を利用した畑跡

 
ヤックラ。
開墾の時に出る石や不要な石を耕作地の隅に片付ける場所のこと。遺跡からは直径40Ⅿにも及ぶ巨大ヤックラもみつかっているらしい。
 


境木痕
畑の境に植えられた木の痕跡。


 

謎の円形平坦地。

大きさはやく2Ⅿほどで、たくさん見つかっている。
等間隔で列状にならんでいるようにみえる。

浅間山噴火の被害は広範囲に広がっており、未発見の集落跡もあることと思う。

江戸時代の遺跡を発掘する前、賛否があったという。

時代が新しいから本でも読んで勉強したらよろしいという意見もあったとか。

地元の人に取ってみれば、発掘が原因で、工事は止まり、生活に影響が出るし、いいことは何一つないと思う。

その考え方は間違っていない。実際そうだし。

しかし、用途不明の円形平坦地の発見をはじめとして、文献資料に現れない日本の歴史を発掘する成果を得られている。

発掘調査をしなかったら、こうした発見はなく、わすれさられてしまうということも事実である。




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弥生時代 群馬県有馬遺跡

弥生時代の農耕は水田ばかりでなく、畑作もやっていたらしい。


でもこの写真を見たとき、これのどこが畑?と思ったが、どうも↓これをイメージするとわかりやすいと言われた。

 
なるほど、溝はひとが入って作物を世話する空間で、その間が苗を植えるもっこりに相当すると。

いまの畑と内容はほぼ同じだったらしい。

ということは、これに至るまでに試行錯誤をしたと思われる遺跡も、まだどこかに眠っているのかもしれない。

自分が知らないだけで、すでに見つかっているかもしれないが…。

水田はコメを育てるものとの見方は一般的だが、畑では何を育てていたのだろうか?

米を主食としていたと考えられる弥生人。

でも、水田にたよらず畑作を中心としていた地域では、米以外の食べ物が主食だった、という解釈も可能かもしれない。

なお、米は畑でも育つ。実家の農家では陸稲(おかぼ)と呼んでいた。

いま陸稲を栽培しているところはほとんどないだろうなあ。



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soraイメージ
注意!
非常にマニアックなブログです。
タモリ倶楽部でもやりません。
旧石器とか縄文など、教科書で習うけど、ほとんどの人は興味なく、聞き流すだけで終わると思います。遺跡に行っても、だいたいは看板があるだけ。古墳は草木が生い茂っている山にしか見えない。面白いのは、ものが出てきたほんの一瞬だけ。全国には何万と遺跡はあります。その中から独断と偏見で、「出土状態」を紹介していきます。なお専門家ではないので悪しからず。
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