出土状態の秘密

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弥生時代 福岡県吉武高木遺跡

以前、弥生時代の墓の一例として方形周溝墓を紹介した。

細かい話になるが、弥生時代の墓は方形周溝墓だけではない。

地方にもよるが数百年続いた弥生時代には、様々な形態の墓が発生している。

この遺跡では、甕を二つあわせた甕棺墓と木製の棺で葬られた木棺墓が見つかっている。

33m×37mの範囲から、甕棺墓34基、木棺墓4基が発見されている。

この遺跡を残した人はここを墓地と決めて、埋葬を行っていたようだ。

甕棺墓・木棺墓とも同じ方向に向けられて検出されているという。

被葬者への方位に対するこだわりは縄文時代にも見られる。

弥生時代の遺跡からは方向を統一した理由を教えてくれるものは、何も見つかっていない。

こういう事例はよく、彼らの「他界観が反映した事例」という便利な言葉で片付けられる。

実際そうした面もあったに違いない。

でも、なんだかスッキリしない人もいると思う。

甕棺墓が34基にたいし、木棺墓は4基のみという数の差も気になる。

甕棺墓より木棺墓の方が優位であった、甕棺墓は地元の人で木棺墓はよそから来た人など、これも解釈が割れそうな例である。

どちらの説が、実態に近いだろうか?

他の遺跡と比較していく必要があるだろう。

もしかしたら木棺の多い遺跡があるかもしれないし。

そもそも、この遺跡は全面的な発掘はやっていないのだから、掘っていないところから大量に木棺がでてくることも否定できない。

遺跡の調査面積は、全体の数十%行われて終わることがほとんどだから、統計的な結果は常に不安定だなあ、という目で見られる。

追記 
最近遺跡の詳細を紹介した本を見た。これは北にひろがる墓群で、南にも墓群があった。やはり、木棺墓の数は少ない。

木棺墓の特殊性は明らかだけれども、じゃあ誰が葬られたか?

全体の1割と残りの9割の違いの真相は、そう簡単に解ける問題ではない。



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非常にマニアックなブログです。
タモリ倶楽部でもやりません。
旧石器とか縄文など、教科書で習うけど、ほとんどの人は興味なく、聞き流すだけで終わると思います。遺跡に行っても、だいたいは看板があるだけ。古墳は草木が生い茂っている山にしか見えない。面白いのは、ものが出てきたほんの一瞬だけ。全国には何万と遺跡はあります。その中から独断と偏見で、「出土状態」を紹介していきます。なお専門家ではないので悪しからず。
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