出土状態の秘密

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平安時代 神奈川県長者原遺跡

律令制が施行された時代、日本は全国的に「国」という単位で分割され、さらにいくつかの「郡」が制定された。

国には国府、郡には郡衙と呼ばれる役所がおかれた。

この遺跡からは郡衙に相当する大規模な建物跡が見つかった。


遺跡の平面図


白くペイントを施されているのは、建物の柱穴跡、もしくは建物跡の輪郭。

柱穴が規則的に並んでいるのがわかる。

方形の竪穴のなかにも柱穴の列が並んでる。

両者が併存していたとは思えないので、時間差はあるのだろう。

遺跡からは「都」と刻まれた土器が発見されており、ここが武蔵国の「都築郡衙」であると推定されている。



復元模型を見ると、高床の建物と平地式の建物で構成されている。

平地式は高床式よりも標高の高い位置に建てられている。

等高線のある図面を見ると、建物は台地上にあるのでそれが根拠になっているようだ。

この配置は、平地式と高床式は異なる性格をお互い持っていたことを示している。

よく見たら、柱穴列が一部分重複している。

これも、両者が併存していたとは思えないので、構築時期に時間差はあるのだろう。

行政機関が、建物の建て替えをするとしたらどんな理由からだろうか。

今の役所は、建物が老朽化したら、補強するか解体して新たに建て直す。

地震・台風・大雨により損壊したため建て直すこともある。

いずれの可能性も証明は難しい。




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非常にマニアックなブログです。
タモリ倶楽部でもやりません。
旧石器とか縄文など、教科書で習うけど、ほとんどの人は興味なく、聞き流すだけで終わると思います。遺跡に行っても、だいたいは看板があるだけ。古墳は草木が生い茂っている山にしか見えない。面白いのは、ものが出てきたほんの一瞬だけ。全国には何万と遺跡はあります。その中から独断と偏見で、「出土状態」を紹介していきます。なお専門家ではないので悪しからず。
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