出土状態の秘密

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縄文時代 敷石建物跡

埼玉県樋下遺跡


長野県平石遺跡


縄文時代の関東・中部地方の遺跡から、敷石住居と呼ばれている建物跡が多数見つかっている。
名前の通り住居の床に石を敷き詰めている。
初めに柄鏡の縦穴を掘り、床と柄の部分には平べったい石を敷き詰めたようだ。
中央には炉がもうけられており、これは縄文時代の住居と同じである。
柱穴は竪穴の外に掘られている。

今まで見てきた竪穴住居の柱穴は、内部から見つかる場合が多いので、屋根など上に覆いかぶさっていたものが、一般の住居とは違っていた可能性もあるだろう。

ちなみに柄鏡の竪穴は、北海道の続縄文時代にも見られた。
柄の内部に柱穴が見つかっているが、敷石住居の場合は外側から見つかっている。
竪穴のなかに柱をたてるのがタブーだったのだろうか?

樋下遺跡では、炉附近からは石棒が見つかっている。
平石遺跡の炉付近からも動物を描いた土器が検出されている。
石棒は、石で作られた狩猟具とは違う道具。
絵の描かれた土器は、今まで見たことはあるけれども数は少ない。
煮炊きに使う土器といっしょにみていいのだろうか?

そもそもこの住居をつくった人達は何を考えて、行動したのだろうか?

完成する間に大きめの石を多く集めなければならないし、柱穴の位置や石の配置など、建物のつくりも特殊だから、それを建てるための知識を持った人間は現場に必要だろう。

一人でなく、複数の人が同じ考えをもって行動していた…
その原動力はなんだったかというと、解釈は難しいと思う。

神殿か?偉い人の住居か?

炉の付近で、石棒や特殊な土器が出土しているいるので、火にかかわる祭りでもやっていたんじゃないの、とも思えるが…

考古学者が結論を出せていない状態のなか、みたこともない事例が姿を現した。
2014年東京都緑川東遺跡で、床下から石棒4本検出した敷石住居が見つかった。


人によっては、炉はないので住居じゃないよという。
前代未聞の発見のため、考古学者の間で解釈が割れているらしい。
でも、敷石住居の特殊性を改めて認識させるだけの効果はあった。
石棒は、石を細長い状態に加工し、全体を磨き上げてつくる。
膨大な労力を必要とするものをなぜ、4本まとめて住居ともども廃棄することになったのか?

特殊な建物から見つかっているから、実はここが石棒を保管する場所だったと考えたらだめだろうか?

獅子舞は普段別の場所に保管し、祭りの時に表に登場し大活躍する。



この建物は建築当初から石棒など祭りの道具の保管場所という機能を考えていたから、炉を省略した…

でも裏付け作業はヤラナイ。メンドイ。

ちなみに、敷石住居ばかり見つかっている遺跡もある。

特殊特殊といっても、どこまで特殊だったのか?
これはもう遺跡を残した人にしかわからない。



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注意!
非常にマニアックなブログです。
タモリ倶楽部でもやりません。
旧石器とか縄文など、教科書で習うけど、ほとんどの人は興味なく、聞き流すだけで終わると思います。遺跡に行っても、だいたいは看板があるだけ。古墳は草木が生い茂っている山にしか見えない。面白いのは、ものが出てきたほんの一瞬だけ。全国には何万と遺跡はあります。その中から独断と偏見で、「出土状態」を紹介していきます。なお専門家ではないので悪しからず。
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